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一緒に行こう、だから、来い!:奥出雲からのお誘い

2024.09.24
出雲
JR木次線。右に見えるのが出雲八代駅。どこまでも続く線路のように,言葉の歴史は奥深く、その研究にも終わりはありません。

JR木次線。右に見えるのが出雲八代駅。どこまでも続く線路のように,言葉の歴史は奥深く、その研究にも終わりはありません。

 まず,こちらの音声をお聞きください。

 

キョーワ マチニ クイニ イカーコイ(今日は街に食べに行こう)

 

コンヤモ イッショニ クヮーコイ(今夜も一緒に食べよう)

 

 注目したいのはそれぞれの最後の部分「イカーコイ」「クヮーコイ」とおっしゃっているところで,それぞれ,「(一緒に)行こう」「(一緒に)食べよう」といった意味を表します。

 

 実はこれらの表現は「いかー」+「こい」「くゎー」+「こい」と分解することができます。前半部分の「いかー」「くゎー」は,それぞれ共通語の「行こう」「食おう」に対応する言い方で,意味としては「よし,行こう/行くぞ!」といった意志や,「行くだろう」といった推量の意味を表します。

 

 その後ろに続く「こい」は,語源としてはおそらく動詞「来る」の命令形「来い」に由来すると思われます。英語で言う“Come on!”です。しかし,ここでの「こい」には,「こっちへ来い!」などと単独で使われる場合のような命令の意味はありません。

 

 つまり,奥出雲(や出雲地域)のことばでは,動詞の意志や推量を表す形式に「〜こい」という形が続くことで,「(一緒に)〜しよう!」と人を誘う、勧誘の意味を表すのです。英語で言う“Let’s ~!”です。

 

 なぜ,「いかー」「くゎー」といった意志や推量を表す形式に,動詞「来る」の命令形がつくことで,勧誘の意味になるのかは後で考えることにして,実は,動詞「来る」の命令形が別の動作を表す動詞とともに使われて,命令や勧誘の意味を表すという現象は,そんなに頻繁ではないものの,他の言語でも見られるようです。

 例えば,東ティモールの公用語の1つでもあるテトゥン語(Tetun)というマレー系の言語では,maiという「来い!」という意味を表す形式が,他の動詞と一緒に使われて,「〜しよう/しましょう」といった勧誘の意味を表すそうです(Mauri & Sansòの研究によります)。

 

(1)mai ita          bá       bebá

   来い   私たち  行く   そこ

   「そこへ行きましょう」

 

(2)mai ita            hamulak

   来い   私たち     祈る

   「祈りましょう」

 

 他にも,ナミビアやボツワナ,南アフリカ共和国に住むナマ人の言語(ナマ語,Nama)などにも,同様の現象が見られると言います。

 

 さて,では、なぜ,動詞「来る」の命令形が,他の動詞と使われることで勧誘を表すようになったのでしょうか。ここでは,世界中の言語におけるこのような現象について研究したMauri & Sansòという人たちの研究を,私なりに解釈して説明してみます。

 まず,例えば,英語の話し言葉では,「Come let’s ~ 」のようにして,それだけで勧誘の意味を表すlet’s ~に動詞comeの命令形を添えることで,let’s ~ という表現が表している「〜しよう」という勧誘の意味が強調されることがあるそうです。このことから考えると,テトゥン語やナマ語に見られる,元々は「来る」を意味する動詞の命令形だったものが勧誘の意味になっているものは,元々,英語の「Come let’s ~ 」のようのComeと同じく,let’s ~のようなそれだけで勧誘を表しうる表現に添えることで,勧誘の意味を強調するようなものだったと考えられます。それが何回も何回も使われていく中で,「動詞「来る」の命令形」+「別の動詞(の命令形や意志形)」という全体で,勧誘を表す表現として固定化していった,というシナリオが考えられることになります。

 次の問題は,「来る」を意味する動詞の命令形が勧誘の意味を強調するようになった背景ですが,日常でも,人と一緒に何かをしようとして相手を誘う時に,「おい,こっち来いよ!一緒に遊ぼうぜ!」のように,相手(聞き手)に対して,自分(話し手)の近くに来るように呼びかけることがあると思います。この「(こっちに)来い,(一緒に)〜しよう」という言い方が,動詞「来る」の命令形が勧誘の意味を強調する形式に発展するきっかけになっただろうと考えられます。

 

 そのように考えると,奥出雲方言の勧誘を表す「イカーコイ」なども,おそらくは,「(一緒に)行こう!(だから,こっちに)来い!」というところから出てきたのではないかと思われます。

 ちなみに,出雲の北西部(出雲市内など)では,「イカ ゴダッシャエ」という言い方もするそうで,「イカ(ー)コイ」よりも丁寧な言い方だそうです。「コイ」の代わりに使われている「ゴダッシャエ」は,命令というよりは「いらっしゃい/来てください」のような依頼を表すようなものです。「イカーコイ」では,「コイ」が元々命令形だということもあって目上の方には使いにくく,その代わりになるものとして出来上がったのかもしれません。奥出雲では,「イカ ゴダッシャエ」という言い方は見られませんが,それでも「イカーコイ」は,少し「きつい」言い方と言われます。やや丁寧に言ったりする場合には,「イカーヤ」のような言い方をするそうです。

 

 奥出雲方言のみならず,日本全国で話されることばの中には,このような興味深い歴史的背景を持った表現がたくさんあります。そして,そこで見られる現象が世界の言語と共通していることも多く,そうしたことをヒントにして,「ことばはどのように変化する/変化しやすいのか」を考えることができます。さらに,そこから「ことばってどのようなものだろう」という言語の本質にも迫ることもできるのではないか,と思っています。そんな言語の本質に迫るべく,今日も奥出雲のことばとその歴史について考え続けているのです。

今日のお話で参考にした論文

Mauri Caterina and Andrea Sansò (2014) “Go and come as sources of directive constructions,” In: Maud Devos and Jenneke van der Wal. eds. 'COME' and 'GO' off the Beaten Grammaticalization Path. 165-184. De Gruyter Mouton.

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Q.

沖縄県・宮古島の西原のことばで、「太陽」は何と言いますか?

What is the sun called in Nishihara-Ikema, Miyako Island?

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