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井川方言のアクセント

2025.03.24
井川
井川大橋から眺める美しい井川湖。まだ行ったことがない方は明日にでも行ってください。

井川大橋から眺める美しい井川湖。まだ行ったことがない方は明日にでも行ってください。

静岡市北部の井川方言について、6回目の記事になります。

前回の記事では、井川の「昔の遊び」に出てくることばをご紹介しました。

今回は、井川方言のアクセントについて書きたいと思います。

 

…え?つまらなそう?

いえいえ、決してそんなことはございません。「アクセント」は井川方言を特徴づける重要な要素なのです。

ブラウザを閉じようと、左上にカーソルを移動させている方は、すぐにその手を離してください!

 

何を隠そう、今回は最終回なのです。

有終の美を飾るにふさわしいテーマは何が良いか、考えに考え抜いた末の「アクセント」です。

他にも、井川に眠ると言われる金塊の話も候補でしたが、それはまたの機会に[1]

 

さて、井川は、古くから「無アクセント」であると言われています。

「無アクセント」というのは、語や文節のピッチ(音の高低)が定まらないことを言います。

例えば共通語では、「飴(あめ)」は「低高」、「雨」は「高低」というアクセントになります。

よって、文字を見ることなく、音だけを聞いても、どちらの意味なのか区別することができます。

無アクセントの地域の場合は、このような一定したピッチが見られません。

 

以下の地図[2]黄色く塗られた地域が「無アクセント方言」を有していると言われています。

 

北関東や九州の一部が無アクセントであることは一目瞭然ですが、よくご覧ください。

中部にもポツンと黄色いスポットが見えると思います。ここが井川です!

 

 

以下は、井川で「もちこ(荷かつぎ)」をしていた滝浪よしさん(1899年生まれ)のお話[3]です。

「みそ(味噌)」のアクセントに注目して聞いてみましょう。

 

 

 

A:ソレデ アノー オショーユトカ ミソトカア ワラジトカ アーユー ザッカモノ ショウト アレダ イクラカ カル カネノ ヤスカッタダ。

(それで あの お醤油 とか みそ とかあ わらじとか ああいう 雑貨物をしょうと あれだ いくらか軽くて 金が安かったんだ。)

B:ン−、ナルホド。

(うん、なるほど。)

 

 

 

B:アノー ショーユナンカ ショウトキ ソレ タルダモンデ グテン グテン シルラ

(あの 醤油なんか しょうとき ほら 樽だものだから グテン グテンするでしよ?)

A:ゴテン ゴテン シル

(ゴテン ゴテン する)

B:アレ ナニカ コー シタダカ

(あれ 何か こう…したのか?)

A:アノー デモ ヤッパ ショエコエ シバリツケチャーナ。

(あのー でも やっぱり しょいこ[4] 縛りつけてはね。)

B:ンー、ナルホド。

(うん、なるほど。)

A:イノカネーヨーニ。アレ ツケカタガ アッタダナ

(動かないように。あれ つけ方が あったんだよ。)

B:アッタダカ。アノー ショーユトカ ミソトカナ

(あったのか?あの醤油とか みそとかね)

A:アノ、ソーソー イッポン シテャエ タテシテ ソノウェー ヨコエ ノセテ。アレァ シューユワ ロクブダカデナ ミソワ ゴブッテユーカ ゴカンメッテ

(あの そうそう 一本下に 立てて その上に 横にのせて。あれは 醤油は 六分だかでね みそは 五分っていうか 五貫目って)

あまりに興味深い話なので、少々長めに引用してしまいましたが、聞いていただきたいのは「みそ」の部分です。

お気づきでしょうか。

最初の「みそ(とか)」のアクセントは「高低」、次の「みそ(は)」のアクセントは「低高」になっています。

このように、同一の話し手であっても、アクセントが安定しないのが、井川方言の特徴です。

 

しかし、このようなアクセントの特徴も、今ではほとんど失われてしまいました。

以下は、1980年に行われた調査の結果[5]です。

1945年あたりから、アクセント知覚をもつ(例えば、雨と飴を区別する)人の割合が増えている、と結論づけられています。

 

 

 

私が2021年から翌年にかけて行った調査でも、1960年代以降に生まれた方は、無アクセントではないことが分かっています。

 

井川には高校がないので、中学卒業と同時に市街地に移り住むことになるのですが、ご高齢の方からは、「街に出てから、発音で随分と苦労した」という話を聞きました。

 

以下は、キホさん(1938年生まれ)のお話です。

 

 

 

キホ:

アメって言わないんだよね。アメンダマって言うから。アメンダマ好きだ,アメが好きだってなかなか。こういう間違いはないわね。アメ,なめるアメを,アメだけでは,二字では誰もしない。アメンダマ。アメダマって言う人も少ない。アメンダマって。

 

 

 

キホ:

分からない。私は分からない。でも,子どもたちは分かる。テレビの影響だか,ラジオの影響か知らん。あと,私たちのときは,戦争が終わるとき,大事な,子ども時代をずっと,その小学校1年生のとき敗戦になったんだけど,だから,ラジオもないから,なんにもないから,井川の人だけで働いてるから,あのー,生活してたから,発音っていうことは全く分からないから,高校へ行くと,話をすると,わあって笑うの。なんで笑われるのか分からないと,その中には,あの,誠実な子もいて,あんたたちは笑うのはどういうことだね,井川から来ただから,分かんないだから,親切にあげて,教えてあげればいいでしょうって,意見を言ってくれる子もいるけど,教えてくれても分からない

 

 

先ほどご紹介した1980年の調査でも、以下のような声があった、と書かれています(馬瀬, 1980, p.14)。

 

国語の授業で教科書を朗読するたびにアクセントについて注意された。他のことと違いこれだけはどうにもならなかった。私はだんだん無口になった。

 

(新制)中学のころ静岡の高校に行っている先輩が,高校に進学して笑われないようにと,夏休みにアクセントの特訓をしてくれたがだめだった。それに先生となった先輩のアクセントもあやふやな感じが強かった。

 

静岡の高校で井川出身の生徒が初めて卒業式で答辞をした。しかし,途中からアクセントがおかしいと言って生徒がスクス笑い出してしまい,厳粛な雰囲気が壊れ,こんな悲しい思いをしたことはなかった。

 

井川方言の衰退には、多くの要因があります。

1950年代にダム工事が始まり、車道が整備されたこと(かつて、「荷かつぎ」が2日かけて歩いた山道は、2時間ほどで行けるようになりました!)、学校教育における方言の位置づけ、テレビやインターネットの普及。

しかし、上で述べたような「周囲からの否定的な評価」の影響は大きかったのではないかと想像します。

かつて笑われたり、見下されたり、禁止されたりしたことばを、子どもに伝えたいと思うでしょうか。

 

井川の方々のアクセントにまつわる苦労話を聞きながら、私は幼い頃「日本語が変だ」と級友たちから笑われたことを思い出しました。

私は、父親がアメリカ人、母親が日本人という家庭で育ち、家の中でも日本語と英語が混合した謎の言語が飛び交っていました。

そのため、私の話す日本語には何らかの音韻的な特徴があったのでしょう。

 

―−結局、発音っちゅうのは、分からのうっきゃ(分からなかった)。

 

そう笑う井川の方に、私は「いいんですよ。そのままで。そのままが一番です」と伝えました。

 

それは、子どもの頃の自分に向けて言ったことばだったのかもしれません。

[1] なお、金の国内公表価格は、1gあたり15,600円(2025年3月21日現在)と大変好調なので、金塊を探し当てることができたら、すべて現金化し、井川方言の保存・継承に使用することをここに誓いません。

[2] 秋永一枝(1986)「アクセント概説:史的変化と方言分布」飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学 1 方言概説』国書刊行会.

[3] 静岡県方言研究会編(1989)『静岡県の方言と暮らし』に収録されたもの。カタカナによる表記及び共通誤訳は原文通り。

[4] 荷物を固定し、背負う木の枠のこと。

[5] 馬瀬良雄(1981)「言語形成に及ぼすテレビおよび都市の言語の影響」『国語学』125, 1−19. に基づいて筆者が作成。

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