医療と方言
方言は、地域の文化としてその価値が見直され、新たな地域資源として活用されるものもあります。
文化的な価値を取り上げられることの多くなった地域言語ですが、医療や介護の側面では、いまも「患者さんと一番に意思疎通できることば」あるいは、患者さんの心を開き、安心感の中で医療を受けてもらう「コミュニケーションのためのことば」として存在しています。
沖永良部島上平川集落の松村雪枝さんは、長年、神戸で看護師として勤務ののち、帰島。島で方言の記録・継承活動にも携わりながら、看護師として「死期の医療」の探求をしてきました。
その中で「母語」(としての方言)の役割の重要性を感じ、身内の看護の過程では、意識して母語(上平川方言)の使用にこだわりました。
この録音は、雪枝さんのお父さん(松村トシタカさん)が亡くなる11日前に、やりとりした録音の一部を提供してくださったものです。
(2019年1月5日沖永良部徳洲会病院4階病棟にて収録)
●ひぎぬ ぬびとぅろー。ひぎ、ひぎー すらい?
髭が 伸びているねー。 髭、 髭を そろうか?
〇ぬー?
何?
●ひぎー すらい?
髭を 剃ろうか?
〇すりがー
剃ってくれるかー
●あー、あとぅからよ、兄さんが 診察ぬ しでぃから きゅんわ。
あー そうだ、後からね、兄さんの 診察が 済んでから 来るわ。
●兄さんが 診察に ちち いかにゃ いかんとぅよ。
兄さんの 診察に ついて 行かなきゃ ならないからね。
〇……‘なーちゃな?
……明日ね?
●あなーん、ひゅー。なまからよ、診察 しまちからよ、
違う、今日。これからね、診察 済ましてからね、
●兄さんとぅ あぐし、また みんぎゃ きゅんとぅよ、ふんたべ まちゅりよ。
兄さんと 一緒に また 見に 来るからね、それまで 待っててね。
(ふん「これ」→うん「それ」、音源はふんだが訳はそれにした)
〇うん
●うん。ひぎー ぬびとぅさ。うん。
そう、髭が 伸びているね。そう。
●がーりゃ、また あとぅから きゅんとぅよ、ひん。
そしたら、また 後から 来るからね、ねえ。
●はーい
「ひぎすい(髭剃り)」に込めた思い
この時雪枝さんは、お父さんに加え、腎不全で人工透析手前の危険ゾーンにいるお兄さん、進行した乳癌の手術を控えている妹さんのケアを一手に引き受けていました。
髭剃りや爪切りなどの整容ケアも、看護(介護)の一部として医療者がするものですが、人員不足でそこまで行き届かないこともあります。
家族が面会に来て足りないケアを補えたらいいのですが、それも思うようにできませんでした。
「ひげそり」の掛け合いには、心理的ケアも身体的ケアも十分にしてあげられず、父に申し訳ないという雪枝さんの思いが込められているそうです。
その後、雪枝さんが、妹さんの手術に向けた最終面談で島を離れていた時に、お父さんは亡くなりました。
病院から急変を知らせる電話を受けたあと、死亡診断時間の連絡が入るまで、「お父さん、もう、何も心配しなくていいから、後のことは任せて潔くいきなさい」と念じました。もちろん方言で。
地域の中での「安全・安楽・幸福」な看取りを考える雪枝さんの、「死期の看護」研究は今も続いています。