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しまむにを、百年先も島の宝に。沖永良部二世の私が思う「しまむにのこれまでとこれから」

2026.08.05
沖永良部島

こんにちは!

 

ことばのミュージアムでこれまで、鹿児島県・奄美群島の沖永良部島(おきのえらぶじま)で話される言語「しまむに」に関する記事を数本書かせていただいたネルソン水嶋と申します(「ネルソン」はライター名で、日本人です)。

 

父は新潟、そして母は沖永良部島の出身です。これまでに、沖永良部島……これより先は、島関係者に馴染みのある「えらぶ」と呼ばせていただきますが、そのえらぶで、しまむにの保存継承に取り組む人たちを紹介してきました。

 

 

 

ネルソン水嶋です!えらぶ・国頭字の断崖絶壁にて。

 

 

それらの記事の一部は、今年1月に刊行した『しまむにのこれまでとこれから』という冊子にまとまっています。冊子を読みたい人は、沖永良部島の和泊町にある和泊町教育委員会(和泊町庁舎2階)を訪ねるか、連絡してみてください。

 

 

しまむにのこれまでとこれから

 

 

さて、そんなわけで、これまでいちライターとして取材記事を書いてきましたが、「自分自身の思いの丈も書いてみたい」と国語研の山田真寛先生(2015年からしまむにの研究と継承支援で東京と島を行き来されている)に伝えたところ、「書いていいよ」と言ってもらえたので、お言葉に甘えて、私自身の視点から思い切って、そしていつもより少し肩の力を抜いて書くことにしました。

 

というのも、私自身、6年間暮らしたえらぶを今年6月に離れたところでして。『しまむにのこれまでとこれから』の制作は、仕事であると同時に、私の島暮らしの総仕上げのつもりで取り組んだものでした。6年間、ライターや新聞記者として島を取材し気づいたことや、想いについて、書き記したいと思います。

島暮らしの経緯と、取材とともにあった島暮らし

すでに書いた通り、私は母がえらぶ出身であり、島では「えらぶ二世」と呼ばれる立場です。いつから呼ばれ始めたか分かりませんが、海外に移住した日本人の子どもが「日系二世」と呼ばれるのと同じニュアンスだと捉えています。このことをえらぶと縁もゆかりも無い方に話すととても驚かれますが、私も初めて耳にしたときは日本という国の中でそんな概念があることに驚きました。

 

私の母や祖父母はかつて神戸に住んでいた時期がありましたが、いわゆる郷友会(出身者などによる集まり)にはあまり顔を出さなかったため、私自身もまた身近にえらぶの文化を色濃く感じる機会が少ない環境で育ちました。同じ二世の知人友人でも、「物心ついた頃から郷友会の運動会で走っていた」「ときどき家に親戚が集まって、シマ唄を歌いながら酒盛りしていた」というエピソードがあり、私は二世にしては島のつながりは薄かった方だと思います。

 

 

2年前に祖父母と母の神戸時代の足跡を辿った

 

 

そんな私が、ひょんなことからえらぶに移住することになりました。理由は大きく二つあります。一つは「祖母が元気なうちに、私自身とえらぶのつながりをつくりたかったから」。もう一つは「そこにベトナム人がいたから」です。二つ目の意味は今回の本旨ではないので省略します(もしご興味のある方は、末尾の私のサイトに書かれてあるのでお時間のあるときにご笑覧ください)。

 

そうして2020年の夏に島へ移り住み、もともと仕事にしていたライターとして、そして新聞やテレビ局の現地記者として、媒体を問わず島の情報を発信してきました。記事を書く中で、農家、漁師、商店経営者、行政職員、出張者、研究者、技能実習生などの外国人、文化継承に取り組む人たちなど、さまざまな分野で熱い想いを持ち活動する島の人に出会いました。私にとって「取材」とは、島人と交わり、島を広く深く知るためのライフワークでもありました。

祖母は宇宙人?私の「しまむに」原体験

そんな私が初めて「しまむに」を強烈に意識したのは、幼い頃に兄と島で過ごした夏休みでの出来事です。畑仕事の休憩中に祖母が近所の友人やお手伝いのおばちゃんと話す内容が、私にはまったく聞き取れませんでした。分からないのに、祖母たちは時折ちらっとこちらに目をやり、顔を見合わせて大笑いするのです。どうやら孫の自分について面白い話をしていることは察しがつきましたが、内容が一つも入ってこない。当時の私にとっては完全に「外国語」であり、外国=アメリカくらいの認識だった私は、兄と「おばあちゃんは完全に宇宙語を話している」「実は宇宙人かもしれない」と話した記憶があります。

 

 

私(左奥)と兄と祖父母。私の緊張した面持ちは宇宙人だと思っていたから?

 

 

もう一つ、私たちきょうだい(妹も入れて3人)の記憶に深く刻まれているのが、祖母が驚いたときに発する「あべ!」という言葉です。なぜ「あべ」なのか。その、なんだか気の抜ける響きが面白すぎて私たちの間では「おばあちゃんは驚いたときに『あべ』と言う」という事実は、鉄板のエピソードでした。

 

しまむに継承の一端に関わり、当時を振り返って思うのは「しまむにが存在しなければ、島に住もうと考えなかったかもしれない」ということです。風景、料理、気温、湿度、言葉、ありとあらゆる地域由来の要素が、その島が島たりえる個性です。何気ない日常が、島の宝です。もう一度書きます。島の何気ない日常が、島の宝なのです。当の本人たちはまるで意識していなくても、そんな些細なやりとりが、私のように将来誰かの人生を左右することもあるのです。

 

以前、「しまむにを学ぶくらいなら英語を学ぶ」という声を聞いたことがあります。受験などを控える子どもたちなら、限られた短い時間なので分からなくもありません。ただ、島の大人が最初からそれを言ってしまうのは「ちょっと違うな」と思っています。一方は世界中の人と話せる素晴らしい道具ですが、もう一方は島の人が島の人であるための島の宝です。比べる土俵が違います。

 

島立ちするときにそんな「島の宝」をどれだけ知っているかによって、その子が生涯島に関わる時間は変わってくるのではないでしょうか。完全に個人的な考えですが、「自分は何者」ということが生きる支えになると思っています。

 

さて、そんな私自身も、少しばかりではありますが、しまむにを学ぶ場がありました。国語研の横山先生と山田先生からの勧めもあって、しまむにの母語話者である祖母と「マスター・アプレンティス(師弟制)」という言語習得プログラムに取り組むことになったのです。祖母と1時間程度にわたってみっちりしまむにで会話をするのですが、私から「ふり しまむにてぃ ぬーよ?(これはしまむにで何と言うの?)」と質問攻めにする時間が増えました(質問攻めがマスター・アプレンティスというわけでなく、そういうやり方に落ち着いた)。

 

 

しまむにについて尋ねる私と前のめりに答える祖母

 

 

面白いことに、しまむにを話している祖母は共通語の時よりも頭が冴えているように見え、「祖母と私は母語が違う」という当たり前の事実に改めて気づかされました。バイリンガルだったから気づかなかったけど、祖母は、日本人の前にえらぶの人だったのです。私はそんなえらぶの血を継ぐ大阪出身者なのだと、祖母との対話が、自分のアイデンティティの理解と定義に着地しました。

 

また祖母は、どこで仕入れたか分かりませんが、「しまむにには古語が隠されている」としきりに教えてくれました。たとえば洗面器をしまむにで「びんだれ」と呼んで、これは昔の文献(古事記だか日本書紀だか)にも出てくる。それを聞いた私はスマートフォンで調べ物をしながら、実際、力士が髪につける油を「びんづけ油」と言うので、洗面器…髪洗う…びん…相撲は国技で歴史も長い…びんは古い言葉…ほうほう!なるほど!と一人で納得して、そして好奇心に振り回されながら、祖母に食い気味で「これはしまむにで何と…いや、ふり しまむにてぃ ぬーよ!?」としまむにを尋ねる場面が何度かありました。

新島とは、守りたい言葉は違っても原体験は同じ。

山田先生から「えらぶは日本でも、言語の保全継承の最先端だ」と聞かされたとき、最初は「お世辞で言っているのでは?」と疑ってしまいました。しかし、全国紙の取材でもそう答えていたので、「本当なんだ」と理解しました。よくよく考えれば、そもそもお世辞を言うような人物でもありませんでした。

 

とはいえ、えらぶで方言継承に関わる当の本人たちは、最先端だという自負を持って取り組んではいないでしょう。ただただ、自分たちの大切な思い出がたっぷり詰まったしまむにを、島の宝をなくしたくない一心で取り組んでいる。それは、よく遊んだ近所の公園や、自分たちの家を守りたいという気持ちに似ています。そのあり方が最先端だろうとなかろうとやることは同じです。

 

 

玉城字での辞書づくりの様子

 

 

最先端だと教えてくれるのは、研究者……ある意味で「先生」たちでした。やはり現場で、自分自身のアイデンティティでもあり、なくしたら心のどこかにぽっかりと穴があいてしまうようなしまむにを伝えたい人たちとは、立場と目線が違います。保全継承という目的は一致しているし、なくしたくないという想いも同じだけど、その動機を支える原体験が異なることは違いありません。

 

そんな目的と動機の違いを、島民も研究者もよく分かっていらっしゃるから、えらぶは両者が上手に連携できていると私は感じているし、そこには「相利共生」という言葉がしっくり来ます。最先端である理由を私なりに考えるのなら、そうした互いの役割を理解して全うしているチームプレーだと思います。

 

しかし、この記事と並行して、東京の新島村で島ことば継承に取り組む皆さんが来島されたレポートを書いているのですが、その取材中に「なんかちょっとこれまでと違うな」と思いました。新島の皆さんは、彼らもまた新島の島ことばを残したいという点では、えらぶの人たちと同様に、「幼少期の頃によく遊んだ近所の公園を守りたい」という気持ちと同じだと思うのです。研究者とは、対象は同じだけど動機は違う。新島の人たちとは、対象は違うけど動機は同じ。その点で、研究者とはまた違ったタイプの「仲間」だなと、取材をしながら、またそれぞれがテーブルを囲んで熱く語り合う様子をみて感じました。

 

 

言語をつなぐという想いでつながる新島と沖永良部島の人たち

 

方言継承の同志に会いに、1,200km!嵐と欠航と歓迎の新島メンバー沖永良部島来島レポート

 

 

離れた場所で、同じ動機を持って取り組む仲間がいる。これはとても尊いことだと感じました。自分自身が大事だと思って取り組んでいても、それは孤独な戦いから始まると思います。今でこそしまむにの保全継承に取り組んでいる人たちは仲間も少なくありませんが、彼ら——これは現在取り組む人たちだけでなく、今はこの世にいない先人たちも含めてです——もともと個々にやってきて、最初は一人ぼっちだったはずです(孤独と感じていたかは別として)。

 

 

新島と沖永良部島の皆さん

 

 

でも、続けていく中で熱が伝播して、集落の内か外かどっちが先かは分からないけれど、理解者が現れて、励ましあってきたからこそ続けてこられた。同じ動機を持って、1,000キロ以上遠く離れた新島と沖永良部島の人たちが熱く語り合えたことは、その一つの理想郷を目の当たりにした気がしたのです。これが、尊くなければ、いったい何が尊いというのだろうか。私はそう思います。今風に言えば「メロい」です。あ、「エモい」かも。ま、どちらでもいいか。

 

よく聞きすぎてこすられまくっている言葉かもしれませんが、アフリカのことわざで、「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け」というものがあるそうです。これはしまむにに限らず、地域活動の取材を重ねれば重ねるほど実感する言葉です。確かに、一人でやれば意思決定と行動がすぐ繰り返せるのでそれはもう早い。でも、言語の保全継承なんて、到底一人で済む話ではないというか、言語という存在そのものが、一人では生まれ得ないものではないか。だったら、言語こそ仲間たちと取り組むべきものであると。

 

 

楽しくお喋りするしまむに継承活動に関わる皆さん

 

 

そう考えると、こうして島内外で仲間が増えていき、頻繁に会えなくっても勇気を与え合うことこそが、継承にとってもっとも大切なことの一つであるように思います。すでに、我々は方言の存続が危ないと言われはじめたとき、いや、それを真っ先に気づいた人からそうして熱の伝播を続けてきたからこそ、研究者と出会い、今最先端と言われる状態になったんだろうなと。継承活動そのものが、世代を超えた「むんがたい(物語)」を紡いでいる、と思います。

半歩外に出た存在が仲間をつなぎ輪を広げる

そんな仲間との出会いで重要なのが、間をつなぐ人の存在です。集落に根を張って言語を残す以上、なかなかほかのところを見に行ったり、俯瞰して見る時間や機会が得られないことでもあると思います。そこで、えらぶの場合は、しまむにコーディネーターの田中美保子さんがつなぎ役を担っていました。

 

 

しまむにで寸劇を披露する田中さん(右)

 

6月2日は「しまむに」の日!沖永良部島の方言継承の思いとむんちゃ(仲間)が集う

 

 

彼女は国頭という字(集落)出身ですが、現在は和泊という町の中心地に住んでいます。国頭の方言はすでに先人がいるからと、出身の方言継承に深く関わらないことに複雑な想いを語ってくれたこともありましたが、そうして半歩外に出ている存在だからこそ、人と人をつなげることができると思います。語弊を恐れずに言えば、無所属だからこそできる。たとえるなら、脱藩して薩長を繋いだ坂本龍馬でしょうか。歴史の話か小説の話かは、横に置いておきます。

 

研究者もまた、それと同じように人と人をつなげられる立場です。活動地域が広かったり、研究者同士のネットワークがあったりするからこそ、今回のえらぶと新島のように島と島をつなげることができる。方言継承の分野に限らず、うまくいっているところには、そうしたつなぐ役割が必ずいると感じます。

 

もちろん、外部がそうした役割を任命した人を送ればいいわけでなく、地域の出身だったり、外から移住したとしても地域から信頼を得ていたり、それは一朝一夕でできるものではありません。必要と思ったからといってうまくいくものではないけど、うまくいかない背景の参考くらいにはなるかもしれません。

 

しまむにのこれまでとこれからも含めて、しまむに保全継承に関わる人たちと取材などで語りつづけてきて、そんなことを感じた私のえらぶの6年間でした。

私のこれからとしまむにとの関わり

さて、ここで個人的な、「これから」の話をさせてください。

 

この文章をどこで書いているかというと、東京です。下北沢のおしゃれなカフェにいてなんだか個人的にはあまり落ち着かない状況です。個人的にはとりあえず日差しから身を守れればそれでよかった島と違って、おしゃれさんばかりが歩いている街はそれだけで緊張します。いや、えらぶでもおしゃれさんはたくさんいるのでありますが。人口密集地東京なので母数がまるで違います。

 

 

下北沢駅前の様子。島風が吹かないので、汗がノンストップ。

 

 

東京に出張中なのかというと違っていて、移り住みました。15年ぶりの東京生活になります。目的はいくつかあるのですが、その、大きなもののひとつが、私のような二世三世などのルーツのある人たちと、えらぶ……それぞれがルーツを持つ奄美群島の島々とつながるお手伝いをしたいということです。出身者のお店で仲間と語らう、島に行き来する、島に移り住む……行動は様々です。

 

完全におせっかいです。おせっかいですが、えらぶにいる間に、ルーツを求めてやって来られた人との出会いが何度もありまして、親や祖父母が生まれ育った島(えらぶ)のことが気になっているけど、その距離や家庭環境(家族がいて簡単には来れないとか)などの理由で踏み出せない方もいると感じました。

 

 

東京奄美会主催の納涼祭で、奄美群島ルーツの人たちを交えてBBQを囲む。

 

 

そんなことをぼんやりと考えはじめた時期に『しまむにのこれまでとこれから』の制作に関わる機会をいただきました。要件としてはえらぶのしまむに保全継承活動のレポートをつくり、沖洲会などの島外の関係者に伝えることだけが決まっていたのですが、そこでさらに私は二世三世などのルーツの方に届けることを強烈に意識しました。アンケートで幅広い年代から声を拾った上で、ルーツのある彼らのしまむにに対する意識についても誌面に載せてあります。

 

 

アンケートのページ

 

 

かつて私にとって「宇宙語」に感じたしまむにでしたが、すでに島の宝と書いたように、しまむにと、えらぶの人たちが島に対して抱く郷愁は非常に密接につながっていると思っています。いえ、確信しています。玉城字が玉城語辞典をつくる上で「土の匂いがする辞書をつくる」という考え方を大事にされていますが、土の匂いとは島ならではの暮らしを想起させる描写力だと思います。

 

私がこれから東京で、二世三世などの人たちと会っていく中で、彼らからもまた昔おじいちゃんおばあちゃんとあったしまむにのエピソードが飛び出すかもしれません。私のように「あべ!」が刺さった人もいるかもしれません。もっと知りたい、教わりたい、という人もいるかもしれません。奄美群島の、ほかの島々の言葉を知る機会もあるでしょう。自分でつくっちゃいましょうかね。

 

島の外にいながらしまむにをきっかけにルーツとつながる。それによって、物理的にも世代的にも、えらぶから「半歩外に出た存在」として、将来の仲間たちとつながることが私の役割と思っていますし、そうなりたいとも思います。

しまむにがなくなったら、えらぶがなくなる。

「しまむにがなくなったら、この島はえらぶじゃなくなる」

 

しまむにの取材中に何度も聞いたこの言葉は、まさに本質を突いた言葉だと思っています。しまむには単なる言葉ではなく、今ある島を私たちにつないでくれた先人の暮らしを教えてくれる「過去」そのものです。それを「未来」に渡していけるかどうかは、私たち次第です。共通語が入ってくる以前と同じ状態でというのは、世界規模でひと・もの・ことが行き来する時代において、難しいと思っています。私たちがすでに、そのような環境で育ってはいません。

 

しかし、えらぶの人がえらぶの人たりえる「島の宝」として持ち続けることは可能だと思います。その想いと話せることは密接に相関関係があると思いますし、しまむにを会話の道具であると同時に、まず島の宝として見ていきたい。

 

えらぶも、新しく移り住む人が増えています。この情報社会で文脈を共有する機会がないまま来る方も多くいるでしょう。しかし、えらぶとは、南西諸島にぽっかりと浮かぶ花とサンゴと洞窟が自慢の島というだけではありません。現在、目に見えるものがすべてではない。偏った意見かもしれませんが、私は、島の土を踏み、そこで生きていくならば、全員、先人と、彼らがつむいできたしまむにに少しでも心を置いてほしい。それらがなければ今はないのだから。

 

しまむに、未来に続いて、いつまでも、いつまでもえらぶぬちゅ(えらぶの人)のちむぐくる(心)を支えてほしい。日常で使われる場面は減っても、先人が編んだ言葉は子孫の心を守り、仲間をつくる強固なつながりとなります。

 

このあたりで、筆を置きます。

 

本当に、本当に、「しまむにのこれまでとこれから」に関われてよかった。しまむに継承に関わる皆さんのうむい(想い)を編ませていただけた。会えてよかった。そのことが私にとって生涯にわたる島の宝であり、また帰って来る理由です。冊子では、皆さんが楽しそうに継承に取り組む様子を、誌面を通しても伝わるように編んだつもりです。10年、20年、半世紀、一世紀先でも、ある日、えらぶの子どもがどこかで手に取るかもしれません。島の図書館でしょうか、集落の公民館の片隅でしょうか、それとも本土にある親戚の押入れでしょうか。どこでも構いません。「楽しそう」「しまむにって面白いな」「もうちょっと調べてみよう」。時空を超えて百年後のそんな声が聞こえてきます。未来につなげるものは、しまむにと、そこで生まれる笑い声かもしれません。

 

それではまたどこかで会いましょう。東京かえらぶか、どこかで見かけたら、「ネルソン!」と気軽にお声がけください。ありがとうございます。いや…。

 

しったい、みへでぃろど~!!

 

 

ネルソン水嶋(自己紹介サイト)

https://nelsonmzsm.github.io/

ことばの学び

LANGUAGE LESSON

ことばのワンポイントレッスンにトライしてみましょう! ランダムに表示される問題文に答えてください。

Let's try a one-point lesson on words!

Q.

沖縄県・宮古島の西原のことばで、「太陽」は何と言いますか?

What is the sun called in Nishihara-Ikema, Miyako Island?

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