
まずはこちらの「昔話」をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=55Un5_mcDoo
流れるナレーションについて、聞き慣れない言葉だな?と思った方や、ひょっとすると、懐かしいと感じる島出身者もいるかもしれません。これは「しまむに」。しまむにとは、奄美群島・沖永良部島(おきのえらぶじま)で話されてきた言語のこと。
今回は、この昔話に声を吹き込んだ沖良子さんのお話です。
沖永良部島の地域語「しまむに」
しまむには、生活に根ざした言葉として当たり前にありましたが、近年は話す人が減少。それは、戦後の子どもたちの都会への集団就職や移住を背景に、学校教育で方言の使用を制限したことや、核家族化による継承の機会の減少があるといわれています。
筆者(沖永良部島在住)の感覚では、60代以下の世代から話せる方が減りはじめ、40代以下は「聞いてわかるけど話せない」、それより若いと「聞いてもわからない」という人が目立ちます。このような状況のなかで、存続を懸念する声が強まっています。

下平川小学校で子どもたちがしまむにの歌を歌う様子
一方で、地元では保存と継承に向けた多様な取り組みも進められています。たとえば、玉城字(集落)では、字で話されていたしまむにを辞典にする取り組みが進められ、下平川小学校ではしまむにのネイティブスピーカーである「うやほ(しまむにで先人や敬老者)」との交流や歌を通じて、生徒がしまむにに親しむ授業が行われています。
また、6月には、島の2町(知名町と和泊町)が国立国語研究所と、しまむにの調査研究や継承の取り組みについて、連携協定を結ぶことになりました。

知名町・和泊町・国立国語研究所の連携協定締結式の様子
さらに、沖永良部島ではしまむにの習得プロジェクトが動いており、しまむにを学ぶ「アプレンティス(学習者)」が、ネイティブスピーカーの「マスター」とペアになり、日常会話を通してしまむにを覚えるという取り組みがあります。
今回の主役である沖良子さんは、このマスターとしてしまむにを伝える一人。そんな彼女が、思いがけないかたちで声優デビューを果たすことになった話をご紹介します。
沖永良部島二世(母が島出身)、ネルソン水嶋がレポートします。
お母さんの方言ラッシュ!しまむにと生きる沖良子さん
沖永良部島に暮らす沖良子さんは、下平川字に住む、後蘭字出身の生粋の島人。11人家族の家庭で育ち、両親、祖父母、きょうだいとともに賑やかに暮らした幼少期。三世帯の大家族の中での会話は当然、しまむにでした。高校卒業後に名古屋・兵庫・奈良と経て、1981年に島に帰ってきました。
そんな沖さんにとって、しまむには共通語よりも親しみ深い言語。自身が母となってからもなるべく家庭ではしまむにを使ってきたこともあって、子どもたちが独立した今も、「うちの娘が帰省すると、『お母さんの方言ラッシュが始まった!』って言うんですよ」と笑う。そのため、40代の子どもたちはしまむにの聞き取りが可能です。
「しまむにで話すと、ピタッとはまるんです。気持ちがすっと通じるんですよね」。
沖さんにとってしまむには単なる言語ではなく、合言葉のようなもの。実際に沖さんの友人とのLINEでのやりとりを見せてもらったところ、「みへでぃろどー(ありがとう)」「あやぶらんどー(どういたしまして)」などのしまむにが飛び交い、どこかなつかしい、穏やかで温かな交流が日常の中に息づいているのが伝わってきました。

沖さんと友人のやりとりではしまむにがよく挟まれる
しまむにマスター、まさかの声優デビュー!
そんな沖さんに、2024年9月のある日、一本の電話がかかってきました。
地元の観光協会を通じて、「セイカ食品からしまむにを使った動画のナレーションをお願いできませんか」との依頼。セイカ食品は「白くまアイス」などを手掛ける鹿児島の老舗菓子メーカーで、そのプロモーションとして、鹿児島県内の3つの島──種子島、奄美大島、沖永良部島──の方言で昔話のアニメを吹き替える企画を立ち上げました。その沖永良部島の方言の声をあてる人として、沖さんに白羽の矢が立ったのです。
「最初はなんでこの島に?って、びっくりしましたよ。でも、嬉しかった」
沖さんの名前が挙がった理由は、遡ること2020年5月、観光協会が発行したフリーペーパー『しまらっきょ』のしまむに特集で、話者として紹介されていたから。その情報がセイカ食品の担当者の方まで届いて、最高齢の沖さんにオファーがかかったのです。

おきのえらぶ島観光協会のフリーペーパー「しまらっきょ」
収録は鹿児島市内で行われ、福岡から運ばれた機材と、7人のスタッフに囲まれた本格的な現場。「アニメを流しながら指示を出す人がいたり、耳にヘッドホンをつけたりして、私が今まで経験したことのない初めての世界でびっくりしました」と、収録当時を振り返る沖さん。とくに難しかったのは、感情を込めてアニメに合わせるタイミングだったという。
「浦島太郎のお話だったので、やっぱり海を見ながら練習しないと情景が思い浮かばないと思って。浜に行ってものすごく練習しましたね」。沖さんの真面目さが伺えます。

当時の原稿に練習の跡を感じる
しまむにの継承はあと5~6年が勝負
沖さんにとって、しまむには「伝えるための言葉」であり、「つながるための言葉」でもあります。日常のなかで、それぞれの世代が接する機会が少なくなる中、沖さんの話を聞いていると、しまむににはご縁を引き寄せる力もあるのだと気付かされました。
高校生の玄太くんは、かつて沖さんが学童で世話をしていた子どものひとり。彼が島のしまむに大会で「現在の思い」をしまむにで発表することになり、沖さんはイントネーションのアドバイスやフレーズについて丁寧に伝えました。「もうね、彼の原稿が素晴らしかったの。だからおばちゃんもやる気になっちゃって」と沖さんは玄太くんを絶賛します。
LINEを見せてもらうと、そんな玄太くんが丁寧にお礼を伝える様子に、二人の温かな交流が伝わると同時にしまむにが欠かせない大きな要素だということも感じ取れます。こうした交流を通じて、しまむにが次の世代へと受け継がれていくのでしょう。
一方で、沖さんは危機感も抱いています。「あと5〜6年が勝負だと思ってるんです。私たちが元気なうちに録音したり動画に残したりしないと、言葉が消えてしまうから」。
実際、沖さんは翻訳やしまむに指導の依頼を数多く受けています。「教えるのはあまり得意じゃないんだけどね。でも、やっぱり残しておきたいんです、しまむにを」。
今の島を築いてくれたしまむにをこれからも
「しまむにがなくなったら、この島がなくなるのと一緒だって、国頭のおばあさんが言っていた。私も本当にそう思うんです」。
その言葉には、73年間をしまむにとともに生きてきた沖さんの実感がこもっている。しまむにがあることで、沖永良部島の人々は共に笑い、励まし合い、悲しみを分かち合ってきました。だからこそ、共通語だけでは表せない感情を伝える手段として、とくにネイティブスピーカーである人たちにとって今も大きな大きな意味を持っています。
共通語が普及した今、意思疎通という点では、しまむにの道具としての役割は決して大きくないかもしれません。しかし、今伝えていかないと、島の暮らしとともに何百年以上と話され続け、今を生きる島人の血肉をつくった存在そのものが忘れ去られます。
そんな中、セイカ食品による今回のプロジェクトは、地域に根づく言葉と人の魅力を丁寧にすくい取った貴重な試みだったのではないのでしょうか。沖さんは言います。
「私は、しまむにを話すのが好きでたまらないんですよ」
YouTubeに公開された昔話は、白くまが主役のユーモラスな展開と、しまむにならではのあたたかみで、多くの視聴者を楽しませています。その中にはきっと、沖永良部島でしまむにに囲まれて育った人もいれば、うやほからしまむにを聞かされて覚えている人もいることでしょう。そんな言葉があったんだと、驚く人もいるかもしれません。
沖さんが73年守り続けたしまむには、楽しい昔話とともに刻まれたのです。
方言すぎる昔話「浦島太郎」沖永良部島篇