「ことばを記録する人」の育成
3年ほど前から、奄美群島沖永良部島において、島ことばの公民館講座を、国立国語研究所の山田真寛准教授としています。
講座の1番の目的は、「地域の中でことばを記録する人を育成すること」です。
奄美・沖縄群島の方言は、その全てがUNESCOの「危機言語地図(Atlas of the world’s languages in danger)」に掲載され、「いま何もしなければ、近い将来消滅する言語」だと言われています。
図1:日本の危機言語(Atlas of the world’s languages in dangerより)
こうした中で、諸方言の記録が急ピッチで進んでいますが、
群島内に800以上あると言われる集落毎に言葉が異なるため、記録が進んでいる方言と、そうでない方言があります。
それぞれの地域の言葉の記録を残すとすれば、この数十年が最後のチャンスかもしれません。
しかし、これだけの多様な方言を、行政や研究者が記録することは殆ど不可能です。
そんな時、そんな大事業を唯一可能にするのは、地域に住み、言語記録の素養を持った「市民科学者」だと考えています。
市民科学者とは
「市民科学」とは、一般の人々(非職業科学者)による科学的な活動を指します。
市民科学者の活躍は、宇宙研究や自然環境の研究で広く知られています。
私自身が市民科学者について知ったのは、チンギス・ハーンの墓探しのプロジェクトについて知った時でした。
チンギス・ハーンは、13世紀初めにモンゴル帝国を創設した人物ですが、彼の死は謎に包まれています。
彼は自分の埋葬場所を秘密にするよう命じ、埋葬に関わった人々は徹底的に抹殺されました。
このため、これまで幾世紀にかけて、大勢の考古学者が探索してきたにもかかわらず、彼の墓は未だに見つかっていません。
そうした中、カリフォルニア大学のAlbert Yu Min Lin博士は、埋葬場所の捜索に高解像度衛星画像と機械学習アルゴリズムを活用することにしました。
しかし、広大なモンゴルの何十万もの画像を処理することは、少数の研究者だけには不可能です。
そんな時にプロジェクトを前進させたのは、インターネットで集まった数十万の市民科学者です。
プロジェクトに関心を持った2万人以上の人々が230万以上の画像認識に力を貸したことで、大勢の人が「墓跡かもしれない」と認識する100ほどの候補地が見つかりました。
そして、そのうち55の候補地は、考古学的に重要な土地だったといいます。
このように、沢山の人の力が集まることで、初めて可能になる大きな事業があります。
▷チンギス・ハーンのプロジェクトについては、こちらから
地域の人に開かれた言語記録へ
更に、市民科学の魅力は、参加者が主体的に関わることで、その人たち自身の学びや楽しみにつながることです。
私たちが公民館講座で「言葉の分析」や「言葉の記録」の方法を教え始めた時は、参加者に楽しんでもらえるのかとても不安でした。
とても簡単とは言い難く、取っつきやすいテーマでもなかったからです。
しかし、ご自身の方言をまるで研究者のように分析する方(図2)、
教室の外でも集落で記録活動を始める方、
私たちが何も言わなくても、集まって方言の継承について議論を重ねる方々…
参加者自身が主体的に学び、活動を進める姿を見て、
地域の中で、記録が出来る人材(市民科学者)を育てていくことこそが、地域の中に知識や体験を残していく、本当の継承活動だと感じるようになりました。
図2:後蘭方言の動詞活用と分析(受講者の沖良子さん作成)
図3:お互いの方言を収録する受講者の皆さん
データベースでの音声公開
先日、公民館講座の受講者さん同士が調査した音声の1つが、国立国語研究所の「危機言語データベース」で公開されました。
これは知名町芦清良集落の方言で、これまで1960年代の語彙の記録があったものの、公開された音声はありませんでした。
公民館講座は、コロナ以降、公民館と東京をZoomで結ぶ遠隔の講座で、毎回参加者や調査ペアが異なるデータのやり取りには苦労もあります。
しかし、現在12集落の記録が同時進行で進んでおり、データベースでの音声公開と、地域での辞書の編纂に向けたプロジェクトが進んでいます。
各地で、地域の中に「記録する人」が生まれれば、島ことばの記録はかつてないスピードで進むと感じています。