伊良部島の佐良浜にて撮影
宮古島池間方言に見られる変わった音の一つ、「無声鼻音」についてお話しします。宮古語は琉球諸語の一つで、日本語とは異なる言語です。琉球諸語の多くがそうであるように、UNESCOによって、宮古語も絶滅の危機にあるとされています。
この方言は、沖縄県宮古島市にある池間島、宮古島西原地区、伊良部島佐良浜地区で話されています。
どうして、同じ方言が三つの離れた場所で話されているのでしょうか。これについてのお話はまた別の記事でお話しします。
「無声鼻音」は以下のような言葉に見られます。
【綱の音声①】
【角の音声①】
【雲/蜘蛛の音声①】
「無声鼻音」の「無声」とは”声がで無い”つまり、声帯をふるわさない音のことを言います。「鼻音」とは日本語では例えば「な」「に」「ぬ」「ね」「の」のようなナ行の音を指します。
ここでちょっと、ご自身の声帯(喉仏のあるあたり)に指を置いて、「なー」「にー」「ぬー」「ねー」「のー」と言ってみてください。声帯がふるえていることがわかると思います。このように、日本語だけではなく、通常、世界中のどのような言語も「鼻音」を発する時には声帯が震えます。言い換えれば、「鼻音」は通常「有声」(声帯をふるわせる)であります。それでは上の【綱】【角】【雲/蜘蛛】を自分でも言ってみてください。慣れていないと、声帯をふるわせずにこれらの音を発するのは難しいと思います。
ある言語学者チームが行った類型論調査によると、307集めた言語の中で、「無声鼻音」は12の言語にしか見られなかったそうです(Maddieson, 1984)。さらには、これらの言語はほとんどが、ミャンマーなど東南アジアの地域に見られるそうです。
こんな特別な音が沖縄で見られるとは面白いですね。
さて、この「無声鼻音」は宮古島池間方言のどのような言葉にでも見られるわけではありません。上記の単語を含めた、数語でしか見られません。もう一度、上記の単語を全て聞いてみてください。何かパターンに気がつくでしょうか。
そうです。「無声鼻音」は言葉の初めに見られますね。「無声鼻音」が単語の途中で見られないのには理由があります。簡単にいうと、「無声鼻音」を単語の途中で言うのは生理学的に難しいからです。
英語などの外国語を勉強するときに、発音をするのが難しいと思った音はありますか。それは類型論的に(世界中の多くの言語を比べてみて)珍しい音なのか、あるいは生理学的に難しいのか、両方なのか、あるいはよくある音だけど日本語にはないのかなど、宮古島池間方言の「無声鼻音」の例からも考えてみてください。
最後に、筆者のフィールド調査によると、このように類型論的にも非常に稀な「無声鼻音」は、宮古語からなくなりかけています。上記の単語は1953年生まれの話者が提供してくださったものですが、もっと世代が若い話者や、言語が話されている地域から長らく離れていた話者になると、「無声鼻音」を発音しなくなります。また、これはまだ調査・検証中ですが、男性よりも女性の方が「無声鼻音」を強く発音しない傾向にあるようです。
【綱の音声②】
【角の音声②】
【雲/蜘蛛の音声②】
「無声鼻音」が*聞こえるべきところ*にどのような音が聞こえたでしょうか。
この「無声鼻音」の存在は宮古語の調査をしている言語学者の中ではホットな話題で、一部の話者はこのことをよく熟知しているため、言語学者に【綱】【角】【雲/蜘蛛】についてマイクを突きつけられると、かしこまった調子で「無声鼻音」を発音してくださいます。実は、最初の話者も、完璧な「無声鼻音」でこのような単語を普段の会話の中で毎回発音しているわけではありません。大学教授や研究者などを前に、ギンギラギンの録音セットに囲まれた特殊な環境で、極めて慎重に発音してくださっているわけです。
宮古語自体が絶滅の危機にある中、類型論的にも非常に稀な「無声鼻音」は特に絶滅の危機にあるかもしれません。
引用文献
林, 由華. 2013.「南琉球宮古語池間方言の文法」京都大学大学院博士論文.
Maddieson, Ian. 1984. Patterns of sounds. Cambridge: Cambridge University Press.