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胡桃と油桐

2024.07.18
出雲
奥出雲で調査に協力してくださる方のご自宅にお邪魔するとお茶請けに色々なものを出してくださる。 手前右は笹巻き。

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奥出雲のちょっと不思議な音の変化

 前回の記事で,出雲の方言では標準語で区別される「し」と「す」,「ち」と「つ」,「じ(ぢ)」と「ず(づ)」に対応する音の区別がない,ということをご紹介しました。いわゆるズーズー弁的な特徴です。

 この特徴は,おそらく元々は区別されていた「し」と「す」などが同じ発音になるという変化が出雲方言の中で生じたことによると考えられています。このように,出雲方言の中には,いろいろな音の変化が生じた結果,他の方言とは異なる音声的特徴がさまざまに見られるようになっています(それは全国のどの地域の方言でも程度差はあれ,同じです)。

 

 そんな音声的特徴の中で,出雲の中でも奥出雲,特に仁多地域のことば特有と言われているのが,「雨が降ります」を「アメガ ファーマスィ」と言ったり,「車が来るよ」を「クヮーマガ クヮーズィ」と言ったりするものです。

 

 

 

アメガ ファー(雨が 降る

 

 

 

アーガ アスィタ クヮー ユータワ(あいつが 明日 来る って言ったよ)

 

 

 

 この特徴は,「仁多郡に於ける特殊音いん変化」(廣戸惇『山陰方言の研究』1950年,島根縣立教育研修所)として,70年以上前の研究でも指摘されているものです。地元の人たちも,この発音について尋ねると「それは仁多の人の発音だ」とおっしゃいます。

 

 この場合も,元々「フル」「フリ」あるいは「クル」「クリ」と発音されていたものが仁多方言の中で変化して,「ファー」「クヮー」となったのだろうと思います。ただ,その変化のメカニズムについてはいろいろと考えるべき問題があり,そういう意味で,ちょっと不思議な音の変化です。

 この一見不思議な音の変化についての詳細は,かなり専門的な話になってしまいますので,ひとまずおいておきましょう。

音の変化の例外:「くるみ」は「クヮーミ」ではない

 さて,この不思議な音の変化ですが,調べてみると,仁多方言ではかなり規則的に起こったようです。「くるぶし(踝)」は「クヮーボスィ」,「いがぐり(毬栗)」は「エガグヮー」など。このような現象に出会うと,「これはどう?」と,他の語についても調べたくなってくるのが言葉の研究をしている者の「習性」ですが,そうして色々な単語について調べていくうちに,ちょっとずつ「例外」が見つかるようになります。

 となると,次に考えるのは,なぜそれらは「例外」なのか,ということです。私のような,ことばの歴史を研究している人間にとっては,この「例外」の理由の追求こそが,1つの醍醐味です。色々な理由が考えられて,「実は例外ではなかった」なんて場合もあります。

 さて,仁多方言のこの不思議な音変化にとって,「くるみ(胡桃)」も例外的な語の1つです。「くるま」を「クヮーマ」とは言っても,「くるみ」を「クヮーミ」とは決して言わないようです。

 私が教えていただいたのは「ゴロビ」という言い方でした。

「ゴロビ」は「くるみ」から生まれた言い方か?

 仁多方言の「ゴロビ」と,標準語でも使われる「くるみ」の関係について考えられるのが,「くるみ」という言い方が変化して,「ゴロビ」という言い方が生じたのではないか,というものです。実際,色々と考えてみると,元々の「くるみ」という言い方が発音の変化の結果,「ゴロビ」という言い方になった可能性があることが分かります。つまり,「くるみ」と「ゴロビ」の関係は,前者から後者への音の変化として説明できるということです。

 以下,そう考えられる理由を説明しますが,少し細かい話になるので,この部分は飛ばして読んでいただいても良いです。

 

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 例えば,仁多方言では,標準語の単語の頭の清音(濁点がついていない仮名で表される音)で現れるものが,濁音(濁点がついている仮名で表される音)で現れることがあります。「とぐろ(蟠)」に対する「ドクロ」など。このような,元々は語頭の清音だったものが濁音になるという現象は,諸方言に見られるものです。そのことを考えると,「くるみ」の語頭のk(清音であるカ行の子音)が,g(濁音であるガ行の子音)に変わる,ということはあってもよさそうです。

 次に,考えるのは,「くるみ」の「くる」と「ゴロビ」の「ゴロ」の対応についてです。標準語のウ段の音が,仁多方言ではオ段に対応しています。

 地元の方々はピンと来られると思いますが,出雲方言では,多くの語で,標準語のウ段のものがオ段の発音で現れます。「うし(牛)」に対する「オスィ」,「むぎ(麦)」に対する「モギ」,「うぐいす(鶯)」に対する「オゴエスィ」などが,その例です。また,「うるし(漆)」に対する「オロスィ」などもあります。先ほどの,語頭のカ行がガ行に変わることと考え合わせると,「くる」が「ゴロ」に変化することはあってよさそうです。

 最後に,「くるみ」の「み」と「ゴロビ」の「ビ」についてですが,これは日本語の歴史上で,よく「バマ相通」と呼ばれる現象と関係している可能性があります。例えば,「さむい」と「さぶい」,「さみしい」と「さびしい」などのようなマ行とバ行が入れ替わる現象です(マ行の子音のmとバ行の子音のbとが,ともに両唇を閉じて出される音だというのが関係しています)。この「バマ相通」が仁多方言にもあったとすれば,「くるみ」の「み」が「ゴロビ」の「ビ」に対応していてもよさそうです。

 以上まとめれば,「くるみ」という形から,音の変化の結果,「ゴロビ」という形になった,と言うことはできそうです。

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 しかし,実はそう簡単な話でもありません。それは,「くるみ」が「ゴロビ」に変化したと考えた場合に起こったとされる色々の音の変化のうち,少なくとも一部のものは,仁多方言の中で起こった変化としては,そんなに普通の変化ではないからです。

 例えば,標準語で単語の頭の「く」あるいは「ぐ」であるものが,仁多方言で「コ」あるいは「ゴ」である例は,「胡桃」以外に私は知りません。確かに,「オゴエスィ(鶯)」のように,単語の中で「ぐ」が「ゴ」に変化したように見える例はあります。しかし,これは,語頭の「オ」(これも元々「う」でした)の影響で,次の「ぐ」の母音が変わったと考えることもできます。「オロスィ(漆)」の「ロ」も「る」から直接「ロ」になったのではなく,前の「オ」の影響によって変化したと考えられます。

 となると,「胡桃」の場合に考えられる,単語の頭の「く」あるいは「ぐ」が「コ」あるいは「ゴ」になるという変化は,例外中の例外ということになります。できれば,そんな変化は想定したくありません。では,どう考えるべきでしょうか。

ゴロゴロしているから「ゴロビ」? それとも。。。

 1つの可能性が,オノマトペ(擬音語・擬態語)が元で生じたという可能性です。

 我々が通常目にする胡桃の実は,硬い皮で覆われていて,ゴロゴロ,ゴツゴツしています。そんな「ゴロっとした実」だから,「ゴロビ」だということも考えられます。

 実は,我々が日常的に使っている言葉の中にも,オノマトペが元になって生じたと思われる語があります。「ひかる(光る)」がその1つで,「ひか」の部分はもともと「ピカ(pika)」と発音されていて,それは光り輝くことを表すオノマトペだった,という説です。あるいは,「すずめ(雀)」も,「す」の発音がかつては「ツ」あるいは「チュ」に近い発音で,雀が「チュンチュン」と鳴くことから,その名がついたともされています。「め」は,指小辞と言って,小さなものや愛らしいものにつける要素と考えられます。

 そして,もう1つの可能性は--これが私の一押しなのですが--,実は,出雲北部の方言で使われている「油桐(アブラギリ。種子から油をとって塗料として使う)」の実を意味する「ゴロタ」あるいは「コロミ」が関係しているというものです。

 この油桐の実と胡桃は,以下に見るように,木になっている状態ではよく似ているように見えます(左が油桐の実,右が胡桃の実)。日常暮らしている中で,この2つを混同することはあってもよさそうです。

 

 

(左図:https://blog.goo.ne.jp/ets5316/e/2bf13da2cbc084d39ed8ee7f66a04ca2

 右図:https://blog.goo.ne.jp/simyo124/e/aa5fe0685e5a018e2dd9f8be7455f973

 

 このことから,私は,仁多方言に見られる「ゴロビ」という形式は,従来は「油桐」を指す形式として出雲地方で使われていたが,後に「胡桃」を表すように変化した可能性があるのではないかと考えています。

 島根県の中でも油桐の産地は,宍道湖や中海周辺の八束郡などの日本海側に集中しており,仁多郡などの内陸部では栽培されていないようです(中野洋平2017「農村におけるアブラギリの栽培と販売—島根県松江市島根町を事例に—」『人間と文化』199-205.を参照)。

 詳細な調査はできていませんが,「ゴロビ」という形式は,元々は油桐を示す形式として海岸部にあったのが,油桐を栽培していない内陸部に伝播していく中で,油桐とよく似た胡桃を表すようになったとは考えられないでしょうか。

 

 今回は,仁多方言の「ゴロビ」という語を巡って,それがどのような由来を持つものなのか,いくつかのシナリオを提案しました。私自身も,どのシナリオが最も妥当であるか決められていませんし,もしかしたら他の可能性もあるかもしれません。

 「ゴロビ」の例は,その言葉が使われている土地の文化や植生などに関する知識が必要になってくることを,私に教えてくれました。それは,つまり,その土地で使われている言葉を真に理解しようとすれば,その文化や植生,生業なども含めた,地域に関する総合的な理解が必要である,ということなのだと思います。

※今回のお話は,第128回国語語彙史研究会(2022年4月23日(土)@オンライン)で「語彙史と比較言語学」としてお話した内容がもとになっています。また,中村(2017)など,油桐の方言形に関する情報については,友定賢治先生(県立広島大)にご教示いただきました。記して感謝申し上げます。

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Q.

沖縄県・宮古島の西原のことばで、「太陽」は何と言いますか?

What is the sun called in Nishihara-Ikema, Miyako Island?

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