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記事 | ARTICLE

昔語りから見える井川の世界

2024.11.18
井川
井川神社からのぞむ井川湖

井川神社からのぞむ井川湖

静岡市北部の井川方言について、4回目の記事になります。

過去の記事も是非、ご覧ください。

 

遡ること数ヶ月、勤務する大学宛に一本の電話がありました。

かつて静岡県史編纂へんさん特別調査員をなさっていたという方からで、「30年以上前に井川の昔話を収録したテープがあるが、送りましょうか」とのことでした。

私が井川方言について研究していることを新聞記事で知り、連絡をくださったそうです。

私は、嬉しさと興奮のあまり椅子から転げ落ちそうになりながらも、受話器を握ったまま、「是非、お願いします!!」と何度も頭を下げました。

 

テープ数本がすぐに届きました。

若かりし頃は、オリジナルテープを作り、友人にプレゼントする、などという、恥ずかしいことをしていた私ですが、もはやテープを再生する機器は持ち合わせていません。

すぐに業者に委託し、音質の調整なども含めたデジタル化をしていただきました。

 

それでは、聞いてみましょう。

1991年に収録された森竹鉄蔵さん(1904年生まれ)による昔話です。

将来、方言研究に携わりたいという奇特な方は、是非ご自身で文字化してみてください。

 

 

「いや、レベル高っ!!」と思った方、ご安心ください。

井川方言の調査を始めて5年目になる私ですが、初めて聞いた際には、ほとんど聞き取れませんでした。

来る日も来る日も、0.5倍速で聞き続け、ようやく文字化したものが、以下になります。

 

へその芯をぬいて 針へ糸を入れてはかまの裾(?聞き取り不能)三針みはりぬって、

やってみようって ほいて そうしてやるってゆうと、

それが行ったところ ずうっと、訪ねて行ってみると、

岩穴へ入ってった

 

20秒に満たない音声ですが、こうして文字に起こすには、途方もない時間がかかります。

音声認識技術が発展したとは言え、こればかりは人手でやるしかありません。

多くの大学教員にとって、大学入学共通テストの監督業務[1]こそ、「人工知能に奪ってほしい仕事」第1位だろうと想像しますが、私にとっては「井川方言の文字化」が、ぶっちぎりの1位です。

 

さて、この話は「蛇婿入り」という民話の一部です。

女性のところに謎の男性が頻繁に訪ねて来る。正体を知ろうと、男性の袴の裾に、こっそり糸を縫い付け、その糸を辿っていくと岩穴へ続いていた、という場面になります。

 

ところで、先ほどの音声に出てくる「へその芯」とは、一体、どういうものなのでしょうか。

森竹さんは、以下のように説明されています。

 

 

ヘソノシンを抜いて、ヘソノシンってゆーと、こりゃー、ほれは、

フジ、フジで糸を取って、ヘソダマっていう玉にしる(=する)ですよ。

ほいで、芯から糸を出すですよ。

 

しかし、「フジで糸をとる」とは、一体、どういうことなのか、「ヘソダマ」とは何のことなのか、謎が謎を呼ぶばかりです。

このような時、助けてくださるのは、やはり井川の皆様。

教えてくださったのは、長倉うた子さん(1937年生まれ)です。

 

 

---

これをとって、あれ、根っこだよ。根っこ。

ほれとか、クズフジ(=くず)の根っことか、ほれをとってね

太いから叩いてね、ほして、あのー、ええかげんなとこで、今度は大きい鍋で

灰汁あくを入れて、あの、燃し灰の、あの灰汁を入れて、ぐつぐつ煮るだよ

ほして、ほれを洗って、今度は干しといて、吊るして干しといて

また、ほれを使う時、水に戻して、こうほそーく割いてね

ほしてこう、紡いでいく

---

森竹さんは、実にさらりと「フジで糸を取って」とおっしゃっていましたが、フジのつるから糸を作るには、大変な労力と時間が必要だったことが分かります。

硬い蔓を叩いて柔らかくし、木灰を使って何時間も煮炊き、川の水で洗いながら繊維を取り出し、乾燥させ、そこからって糸にしていく…

文字にするだけで失神しそうなほど、骨の折れる工程です[2]

 

また、「へその芯」とは、でき上がった糸を巻きつけて玉状にしたものを指すのだそうです。

この話をしている際、協力者の方々が頻繁に「フンダコ」とおっしゃるので、何のことだろうと思っていたら、「藤太布=蔓性の植物を使った糸で作られた布」のことでした。

 

ちなみに、今回送っていただいたテープは、民俗学調査に用いられたものだそうです。

これまで、民話の研究は、民俗学者が、方言の研究は、言語学者が、それぞれに知見を積み重ねてきたようなのですが、互いの死蔵データを共有することで、どちらの学問も一気に進展しそうな予感がします[3]

 

それにしても、井川の皆様から聞くお話の、なんと興味深いこと。
方言の調査であることも忘れ、ついつい聞き入ってしまいます。
 
井川方言の研究をしていなければ、決して知ることのなかった世界。
今回はどんな話が聞けるのかなあ、と胸躍らせながら、今日も私は、井川への山道を急ぐのでした。

 

 

[1] 監督業務は、基本的に、大学教員によって行われています。試験中は、受験生の妨げとならないよう、存在を消し、無の境地で、ただただ試験時間が過ぎるのを待ちます。不測の事態が生じた際には、すぐに対応せねばならないので、当面、人工知能に奪われることはなさそうです。

[2]『別冊太陽「日本の自然布」自然布を探ねて(2)藤布』 平凡社,2004.

[3] 近年、民話資料を方言研究に活用する動きも出てきます。例えば、2023年度に科学研究費助成金に採択された課題「方言昔話資料のデータベース化と言語研究への活用」(代表:三井はるみ氏)など。

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